ヒトを含む多くの動物において、発育期の環境は身体的・精神的な健康に大きな影響を与えます。
動物を用いた研究では、飼育環境を操作することで行動や脳機能への影響を検討するモデルが数多く用いられてきました。代表的なものとして、回し車や筒などの遊具をケージ内に設置して豊かな飼育環境にする environmental enrichment(環境エンリッチメント) モデルや、ケージ内で単独飼育をする social isolation(社会的隔離) モデルなどが挙げられます。
今回はその中でも、通常よりも多様な社会的接触を経験させるマウスモデルの一つを紹介させていただきます。2024年に Behavioural Brain Research 誌に掲載された Qun Wang, Rui Jia らによる論文
“Social environment enrichment alleviates anxiety-like behavior in mice: Involvement of the dopamine system”1
を中心に取り上げます。
① 内容概説
実験には、動物実験で広く用いられる C57BL/6J 系統の雄マウスが使用されました。15匹を1グループとし、2グループ(計30匹)に分けています。
対照群では、1ケージ3匹で飼育し、ケージ内の個体の組み合わせは実験期間を通して固定されました。
一方、実験群でも同様に1ケージ3匹で飼育しますが、週2回ランダムにケージメイトの組み合わせを変更しました。
この操作は4週齢から11週齢(離乳期~思春期~若年期)まで継続され、著者らはこのモデルを“companion rotation(CR)”モデル と呼んでいます。
これら2群を Open field test(OFT)、Light–dark box test(LDB)、Elevated plus-maze test(EPM)などの行動試験で評価した結果、CR マウスでは不安様行動が有意に減少したと報告されています。
さらに、分子レベルおよび mRNA 発現解析から、ドーパミン神経系の変化がこの行動変化に関与している可能性が示されました。
② 考察:「多様な社会的接触はマウスの発育に良くない?」
本論文を読むまでは、このようなモデルを私は知りませんでしたが、初めて内容を読んだ際には
「幼少期に多様な個体と社会的接触を持つことが、精神的に健康な発育に寄与するのかもしれない」
と直感的に納得しました。
同時に、「多くの実験室マウスではケージ内の組み合わせが固定されているが、これは実は最適な飼育環境ではないのではないか」とも感じました。
しかし、このモデルについて他にも文献を調べていくと、多くの研究では逆の結果が報告されていることを知りました。すなわち、発育期に頻繁なケージメイトの変更を行うことは、むしろマウスに負の影響を与えるという報告です。
具体的には、うつ様行動や不安様行動の増加、認知機能の低下、毛並みの状態悪化などが示されています。
類似した実験系を扱った論文2では、このモデルは“Social instability stress(SIS:社会的不安定性ストレス)”モデル
と呼ばれています。マウスやラットにも”Social hierarchy (社会的ヒエラルキー)”が存在していることが分かっており、ケージ内でヒエラルキーが形成され上位と下位ができます。SISモデルは頻繁に馴染みのない相手とケージメイトになり、そのたびに社会的ヒエラルキーの順位が変動する「社会的不安定性」から、こう呼ばれているようです。
このように、CR/SIS モデルに関しては、行動表現型に一貫した結果は得られていないようです。さらに性別や動物種、実験条件によっても結果が左右される可能性があります。
個人的には非常に興味深い動物モデルだと感じました。ただし、マウスとヒトでは社会構造が大きく異なるため、これらの結果をそのままヒト社会に当てはめることには慎重になるべきだと考えます。
また、恐らくケージ面積の制約などから、実験を行いやすいように「ケージメイトをローテーションさせる」という手法が採られているのだと思われますが、例えばより広いケージでの多頭飼育を行い、完全にランダムではなく数匹ずつケージメイトを変えていくなどして、社会的ヒエラルキー変動によるストレスを最小限にしつつ社会的多様性を再現するようなモデルが実現できれば、さらに興味深い知見が得られるのではないかと感じました。
引用
- Wang Q, Wang Y, Tian Y, Li Y, Han J, Tai F, Jia R. Social environment enrichment alleviates anxiety-like behavior in mice: Involvement of the dopamine system. Behavioural Brain Research. 2024 Jan 5;456:114687. doi: 10.1016/j.bbr.2023.114687.
- Koert A, Ploeger A, Bockting CLH, Schmidt MV, Lucassen PJ, Schrantee A, Mul JD. The social instability stress paradigm in rat and mouse: A systematic review of protocols, limitations, and recommendations. Neurobiology of Stress. 2021 Oct 16;15:100410. doi: 10.1016/j.ynstr.2021.100410.
